アールテック、今日(10日)は下げましたが、昨日は予想外の好発進でした。
BB締め切りの前日、主幹事から感触のよさそうな電話があったのですが、
チキンな私、自己判断で見送ったのですから、誰にも文句は言えません。
4月は
アールテックだけ。IPOの新規承認がないというのは、寂しいですね。
5月下旬から6月にかけて上場する銘柄の承認が、例年4月下旬にあるのですが、
現在、IPOは超閑散の真っ只中、今年はどうでしょうか?
さて、2か月ほど前、「20年の思い出」を2回に分けて連載させていただきました。
今回は第3回として
、「IPOとの出会い」について書かせていただきました。
私がIPOを始めた時に比べ、証券会社の配分方法もずいぶん変わりました。
長文になってしまいましたので、興味のない方はどうぞパスしてください。
そもそも、私のIPOとの出会いは、2005年2月、“
博報堂”の当選からです。
日興の担当者から「あの“
博報堂”が東証1部に上場します。応募しませんか?」
と何気に誘われたのがきっかけです。
この時まで新興市場なんて全く興味がなく、株は東証1部しか売買していませんでした。
「“
博報堂”なら東証1部、100株(1単位)くらい持っていてもよいか」と応募しました。
1週間後、「当選しました」という連絡、たぶん裁量配分だったのでしょう。
今から思えば大型案件だったのですが、当時はIPOの全盛期、初値付近で売却、
7万ほど儲かりました
。「IPO、こんなおいしいものはない」という気がしました。
これがきっかけとなって、IPOに並々ならぬ興味を抱きました。
調べると、初値で
2倍とか
3倍とかの銘柄がゴロゴロしているでありませんか。
しかも、公募割れはほとんどなし。“
ガンホー”に至ってはただ唖然とするのみ。
ここから、私のIPO挑戦がはじまりました。まずは、口座を増やすことから。
それまで、店頭口座は野村、三菱、日興だけでしたが、大和、新光、岡三に口座開設。
ネット口座は岩井だけでしたが、イートレ、マネックス、松井、エイチエスに口座開設。
しかしながら、なかなかよい銘柄は当選しません。
辛うじて、ネット応募で“
日本テレホン”と“
ゼンケンオール”が当選。店頭応募といえば、
三菱で“
和井田製作所”、新光で“
SRGタカミヤ”とマイナーなものばかり。
そんな時、あるセミナーの席でたまたまIPOの経験豊富な人と出会いました。
この人のいうには、 “
ファーストエスコ”と“
ぐるなび”が当選と。
“フ
ァーストエスコ”は公募75万で初値250万。
“
ぐるなび”は公募90万で初値240万。すごい人気銘柄でした。
どのようにして手に入れたのか尋ねましたが、言葉を濁されました。
要するに店頭裁量だったようです。
それから、IPOの店頭配分について徹底的に調査しました。
まず野村、1885年に口座を開設して20年以上経つ私のメイン証券でした。
野村には全資産の8割ほどを置いていて、かつて“
JR東日本“のIPO配分がありました。
JリートのIPOについても、5口単位で何銘柄も配分を受けていました。
ところが、人気IPOに応募すると、担当者から「お取りするのは無理ですよ」
この一言ですぐに、野村においては私の資産程度では、ゴミ客であることを悟りました。
IPOはネット応募に切り替えるとともに、全部の株とJリートを三菱に移管しました。
次に大和と新光を調べると、店頭は100%裁量とのこと。
投信や外債の売り込みにうんざりしていたので、すぐにネット応募に切り替えました。
新光では“
SRGタカミヤ”の当選がありましたが、あのIPO神話の時代に
初値後すぐに公募割れする銘柄、ひどいものを配分してくれたものです。
そんな中、大和はネットに切り替えた途端、すごくラッキーなことがありました。
公開株数1400株の“
ウィズ”が、大和ダイレクトで当選したのです。
当時、大和のネット抽選への割り振りは数%だったと思います。
何回もログインして、「当選」が真実か確かめました。間違いありませんでした。
まぁよくぞ、当選したもの! 私のIPO人生の中で最大の感動の瞬間でした。
“
ウィズ”は初値天井で、初値売りを逃しましたが、それでも100万以上
の利益がありました。
、
日興と岡三は、100%裁量でなく、抽選部分があるようでしたので、翌年(2006年)の夏、
ネット応募が可能になるまで店頭応募を続けました。
日興は支店長が個人向け国債の売り込みで家まで来たのに、断ったのがまずかったよう
で、”
博報堂”以後当選はなし。
担当者が100%完全抽選だというものですから、信用していたら真っ赤な嘘。
2005年の7月に日経新聞が「一部完全抽選、大部分は裁量」という記事を掲載しました。
抗議の電話をすると、担当者は退職した?とのこと。
日興は私にとって、IPOに目覚めさせてくれた恩人です。
が、嘘は私の最も忌み嫌うところ、その年の暮れ、すべて出金しました。
間を置かずに、「担当者が付かなくなった」旨の封書が届きました。
しかし、その後も、ネット応募が可能になるまで、しばらく店頭応募は続けました。
一部完全抽選は本当らしく、“
テンプスタッフ”と“
フィスコ”の当選がありました。
岡三は委託分を含めて、ほぼ全銘柄の店頭応募をしましたが、約1年半当選は
ありませんでした。
店頭応募で、約1年半も当選がないとホトホト疲れてしまいます。
担当者は完全抽選だと言っていましたが、今でもその真意に疑問を持っています。
ここも、ネット応募の体制が出来て以降、店頭応募をやめました。
結局、店頭応募で残ったのは、三菱だけとなりました。
三菱はもともとあった資産に、野村からの移管が加わり、ステージ3を獲得することが
出来ました。
当選は
2005年・・・3件、2006年・・・20件、2007年・・・10件です。
IPO利益のうち、約30%が三菱の当選で獲得したものです。
今や私にとっては、IPOに欠かせない店頭証券となっています。
ということで、2006年の夏以降、三菱以外はすべてネット応募となりました。
2006年には、コスモ、オリックス、カブコム、みずはインベ、SMBCフレンド、
ジョインベスト、ジェットとネット口座を増やしました。
これまでのIPO利益の約70%は、ネット応募による利益です。
2006年には、“
ミクシィ”2個、ネット当選するという超幸運もありました。
IPOの知識が全くなかった私、最初は手探りで店頭応募から始めました。
ところが店頭は担当者からピ-チクパーチク売り込みの激しいこと、うんざりしました。
その点、ネット応募は気楽です。
「もっと早くネット応募の体制を整備しておけば」という思いでした。
その中で、さすがは野村、IPOをえさにチマチマ売り込むような姑息なことは
ありませんでした。
また、三菱はある程度の資産を投信とかに常時置いておけば、あまり強引な
勧誘はありませんでした、
と言うことで、いろいろと煩わしい店頭応募は、これまでは極力避けてきました。
ところが、また何を血迷ったのか? 昨年秋から店頭でのIPOゲットに再挑戦しています。
これについては、別途、掲載させていただきます。

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