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Author:びん介
 
       ◆投資歴◆

    株式投資・・・1988年より
    IPO参加・・・2005年より


       ◆職 業◆

     無 職 (2級FP技能士)


       ◆お断り◆
 
投資銘柄や投資時期のご判断については100%自己責任でお願いいたします。
誹謗中傷、その他管理人が適切でないと判断した場合はコメントやトラックバックを削除させて頂く場合がありますのでご了承下さい。


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TOP > 20年の思い出
アールテック、今日(10日)は下げましたが、昨日は予想外の好発進でした。

BB締め切りの前日、主幹事から感触のよさそうな電話があったのですが、

チキンな私、自己判断で見送ったのですから、誰にも文句は言えません。



4月はアールテックだけ。IPOの新規承認がないというのは、寂しいですね。

5月下旬から6月にかけて上場する銘柄の承認が、例年4月下旬にあるのですが、

現在、IPOは超閑散の真っ只中、今年はどうでしょうか? 



さて、2か月ほど前、「20年の思い出」を2回に分けて連載させていただきました。

今回は第3回として、「IPOとの出会い」について書かせていただきました。

私がIPOを始めた時に比べ、証券会社の配分方法もずいぶん変わりました。

長文になってしまいましたので、興味のない方はどうぞパスしてください。




そもそも、私のIPOとの出会いは、2005年2月、“博報堂”の当選からです。

日興の担当者から「あの“博報堂”が東証1部に上場します。応募しませんか?」

と何気に誘われたのがきっかけです。

この時まで新興市場なんて全く興味がなく、株は東証1部しか売買していませんでした。



「“博報堂”なら東証1部、100株(1単位)くらい持っていてもよいか」と応募しました。

1週間後、「当選しました」という連絡、たぶん裁量配分だったのでしょう。

今から思えば大型案件だったのですが、当時はIPOの全盛期、初値付近で売却、

7万ほど儲かりました。「IPO、こんなおいしいものはない」という気がしました。



これがきっかけとなって、IPOに並々ならぬ興味を抱きました。

調べると、初値で2倍とか3倍とかの銘柄がゴロゴロしているでありませんか。

しかも、公募割れはほとんどなし。“ガンホー”に至ってはただ唖然とするのみ。

ここから、私のIPO挑戦がはじまりました。まずは、口座を増やすことから。



それまで、店頭口座は野村、三菱、日興だけでしたが、大和、新光、岡三に口座開設。

ネット口座は岩井だけでしたが、イートレ、マネックス、松井、エイチエスに口座開設。

しかしながら、なかなかよい銘柄は当選しません。

辛うじて、ネット応募で“日本テレホン”と“ゼンケンオール”が当選。店頭応募といえば、

三菱で“和井田製作所”、新光で“SRGタカミヤ”とマイナーなものばかり。



そんな時、あるセミナーの席でたまたまIPOの経験豊富な人と出会いました。

この人のいうには、 “ファーストエスコ”と“ぐるなび”が当選と。

“ファーストエスコ”は公募75万で初値250万。

ぐるなび”は公募90万で初値240万。すごい人気銘柄でした。

どのようにして手に入れたのか尋ねましたが、言葉を濁されました。

要するに店頭裁量だったようです。



それから、IPOの店頭配分について徹底的に調査しました。

まず野村、1885年に口座を開設して20年以上経つ私のメイン証券でした。

野村には全資産の8割ほどを置いていて、かつて“JR東日本“のIPO配分がありました。

JリートのIPOについても、5口単位で何銘柄も配分を受けていました。



ところが、人気IPOに応募すると、担当者から「お取りするのは無理ですよ」

この一言ですぐに、野村においては私の資産程度では、ゴミ客であることを悟りました。

IPOはネット応募に切り替えるとともに、全部の株とJリートを三菱に移管しました。



次に大和と新光を調べると、店頭は100%裁量とのこと。

投信や外債の売り込みにうんざりしていたので、すぐにネット応募に切り替えました。

新光では“SRGタカミヤ”の当選がありましたが、あのIPO神話の時代に

初値後すぐに公募割れする銘柄、ひどいものを配分してくれたものです。



そんな中、大和はネットに切り替えた途端、すごくラッキーなことがありました。

公開株数1400株の“ウィズ”が、大和ダイレクトで当選したのです。

当時、大和のネット抽選への割り振りは数%だったと思います。

何回もログインして、「当選」が真実か確かめました。間違いありませんでした。

まぁよくぞ、当選したもの! 私のIPO人生の中で最大の感動の瞬間でした。

ウィズ”は初値天井で、初値売りを逃しましたが、それでも100万以上

の利益がありました。



日興と岡三は、100%裁量でなく、抽選部分があるようでしたので、翌年(2006年)の夏、

ネット応募が可能になるまで店頭応募を続けました。



日興は支店長が個人向け国債の売り込みで家まで来たのに、断ったのがまずかったよう

で、”博報堂”以後当選はなし。

担当者が100%完全抽選だというものですから、信用していたら真っ赤な嘘。

2005年の7月に日経新聞が「一部完全抽選、大部分は裁量」という記事を掲載しました。

抗議の電話をすると、担当者は退職した?とのこと。



日興は私にとって、IPOに目覚めさせてくれた恩人です。

が、嘘は私の最も忌み嫌うところ、その年の暮れ、すべて出金しました。

間を置かずに、「担当者が付かなくなった」旨の封書が届きました。

しかし、その後も、ネット応募が可能になるまで、しばらく店頭応募は続けました。

一部完全抽選は本当らしく、“テンプスタッフ”と“フィスコ”の当選がありました。



岡三は委託分を含めて、ほぼ全銘柄の店頭応募をしましたが、約1年半当選は

ありませんでした。

店頭応募で、約1年半も当選がないとホトホト疲れてしまいます。

担当者は完全抽選だと言っていましたが、今でもその真意に疑問を持っています。

ここも、ネット応募の体制が出来て以降、店頭応募をやめました。



結局、店頭応募で残ったのは、三菱だけとなりました。

三菱はもともとあった資産に、野村からの移管が加わり、ステージ3を獲得することが

出来ました。

当選は2005年・・・3件、2006年・・・20件、2007年・・・10件です。

IPO利益のうち、約30%が三菱の当選で獲得したものです。

今や私にとっては、IPOに欠かせない店頭証券となっています。



ということで、2006年の夏以降、三菱以外はすべてネット応募となりました。

2006年には、コスモ、オリックス、カブコム、みずはインベ、SMBCフレンド、

ジョインベスト、ジェットとネット口座を増やしました。

これまでのIPO利益の約70%は、ネット応募による利益です。

2006年には、“ミクシィ”2個、ネット当選するという超幸運もありました。



IPOの知識が全くなかった私、最初は手探りで店頭応募から始めました。

ところが店頭は担当者からピ−チクパーチク売り込みの激しいこと、うんざりしました。

その点、ネット応募は気楽です。

「もっと早くネット応募の体制を整備しておけば」という思いでした。

その中で、さすがは野村、IPOをえさにチマチマ売り込むような姑息なことは

ありませんでした。

また、三菱はある程度の資産を投信とかに常時置いておけば、あまり強引な

勧誘はありませんでした、



と言うことで、いろいろと煩わしい店頭応募は、これまでは極力避けてきました。

ところが、また何を血迷ったのか? 昨年秋から店頭でのIPOゲットに再挑戦しています。

これについては、別途、掲載させていただきます。






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1989年の大納会38,915円をピークに国内株式のバブルは崩壊しました。

バブルというのは、後から判るもので、1990年の正月の日経新聞でも、

バブル崩壊を予測した企業のトップはおりませんでした。



株のバブルは崩壊しましたが、地価のバブルはそのまま、しばらく続きました。

そのため、政府は、3月に総量規制(土地関連融資の抑制)なるものを発動しました。

公定歩合も1987年2月〜1999年5月の2.50%を底に4回、利上げをしていましたが、

8月には5回目の金利引き上げを実施し、6.00%に達しました。



土地を含めた資産バブルの崩壊が本格的にはじまり、高金利時代の到来です。

この時、元本安定型で長期固定金利の商品として次の3つが人気化しました。


◇生保の一時払い養老保険・・・・・10年満期、予定利回り約6.00%

◇長信銀のワイド(利付金融債)・・・・・5年満期、8.00%の半年複利。

◇郵貯の定額貯金・・・・・10年満期、6.33%の半年複利。


一時払い養老保険は、年齢等によって利回りが多少異なりますが、

高利回りで、税制面でも優遇された金融商品でした。

サラリーマンの場合、「給与所得以外の収入が20万円以下なら

確定申告不要」の適用で、満期時、実質90万円の利益までなら非課税

という利点がありました。

税制的には一時所得で、現在でも変額年金保険の場合などに適用されます。



最も人気が集中したのは、長信銀のワイドの8.00%半年複利でした。

私もわずかなお金を持って昼休み、うろうろした経験があります。

近くの日本興業銀行(現 みずほ銀行)に行けば、玄関払い。

続いて、日本長期信用銀行(現 新生銀行)に行けば、一見さんはダメ。



ようやく、日本債権信用銀行(現 あおぞら銀行)で店に入れてもらいました。

中はホテルのロビー風、蓋付きのお茶のサービスには感激しました。

当時、長信銀は一般都銀と違い、大変格式の高いところでした。

その長信銀3行も今、名前が残っているものはありません。



その後の景気急減速で、1991年7月には公定歩合が5.50%に下がり、

それからも下がり続け、1995年7月には0.50%という超低金利時代に突入します。

さらに、銀行の不良債権処理が深刻化した2001年9月には0.10%という、

史上空前の低金利時代を迎えることになります。

バブルの放置とその後のブレーキ掛けすぎによる、失われた10年でした。




ところで、私の塩漬け株ですが、1991年春の湾岸戦争終結で一旦少し戻したものの、

その後も、住専の破綻、不良債権の飛ばし発覚と悪材料続出、500万の含み損を

抱えることになったことは、前回お話しました。



この時、株から撤退すべきか岐路に立っていました。

底なしの下げのように思え、これ以上傷口を大きくしないため、全部精算して

身軽になることも考えました。

「自分のような素人が株に手を出すべきでなかった」とも思いました。



この苦境下、私を救ってくれたのが、大和証券です。

大和証券の店頭ではなく株です。

当時、証券会社株も、ひどく下がっていました。

そして、証券会社株は相場を先取りして、激しく値動きすることに気づきました。



思い切って、1992年3月、大和証券株を780円で1,000株、

さらに、8月までに合計4,000株、買いました。

長期保有も覚悟した、最後の買いでした。



なぜ、大和証券株なのかって? 

業界トップの野村證券株は、高すぎて手が出ませんでした。

他の大手2社は、長期保有するにはリスクがあるような気がしました。

消去法で大和証券になったというわけです。



幸い、政府の景気刺激策等が奏効し、相場が急回復してくれました。

1年後には大和証券株は2倍に、NTT株や他の株も切り返しました。

1993年9月までに、全株、無事売却完了。

NTT株はもちろん損切りでしたが、差引き100万円程の売却益が出ました。



ようやく、5年間のNTT株の塩漬け状態から開放され、ホッとした瞬間です。

やっと肩の荷がおりたという思いでした。

長い5年間でしたが、プラスで在庫一掃出来、爽快な気持ちにもなりました。

もう塩漬けはコリゴリ。そして、つくづく思いました。


「割安となる時を気長に待って、中長期投資に徹すること」
と。


その後、大和証券(現 大和証券G本社)株は、私の株売買の指標にもなりました。

900円を切ると東証1部バリュー銘柄のウオッチ開始、800円以下で買いスタート。

当然、その中には大和証券(現 大和証券G本社)株自体も含みます。

数回に分けて分散買いして、後は気長に切り返しを待つ。

1400円超えで売却開始、といった具合です。概ねこれで成功しています。



直近の2003年の日経平均7,800円までの下げでは、11,000円を切るまで

買いを辛抱して、以後4回に分けて買い下がりました。

それでも、さすがに、一時かなりの含み損を抱えてしまいました。

でも、10年前と違い必ず戻すであろうと、確信していました。



予想通り、2003年5月、りそな銀行の救済措置を契機に相場は回復。

2005年12月までに、数回に分けて持株すべて売却しました。

一時の含み損の3倍近い利益を得ることができました。

もう1年持てば、さらに儲かったのですが、欲は言いません。



今、株投資用資金は、すべてキャッシュポジションになっています。

その資金はここ2〜3年、IPOの買付余力に活用してきました。

そろそろ、バリュー株の買いスタンバイかな?と思っています。



しかしながら、銘柄選定さえ誤らなければ、IPOほどローリスクな

投資はありません。

私が株に興味持ったのは、1987年2月9日に上場したNTT株のIPOからです。

当時IPOという言葉は使われていなかったように思います。 超大型上場で、

異例の東証1部一発上場と、新聞の社会面まで大騒ぎだった記憶があります。

公募価格の決定はBB方式ではなく、定かでありませんが、機関投資家とか大口が入札。

その落札価格の平均値で、公募価格が決まったように記憶しています。



今まで株に全く興味を持たなかった人まで日本国中、この話題で持ちきりになりました。

私も野村證券に応募しましたが、あえなく落選でした。

今から思えば、当時から野村は裁量配分だったのかも知れません。

NTT株は公募119万円ほど、初値140万円前後だったと思います。

その後も順調に値上がりしていきました。

日経平均も、年初の19,000円から秋口には26,000円まで上昇し、順調そのものでした。

NYダウも、年初1,800ドルから2,700ドルまで順調に値上がりしていました。



そんな中、1987年10月19日、突然襲ったのがブラックマンデーです。

NYダウは1,700ドルまで、日経平均も21,000円まで急落です。

NYがブラックマンデーに襲われた翌朝の東証、ほとんどの銘柄は売り気配のまま、

値がつかずに終わったように思います。

私の20年の記憶でも、この暴落は短期で最大の下げ、まさにパニックだったと思います。



しかし、この状況下で、いち早く回復したのが東京マーケットでした。

1988年4月には、ブラックマンデー前の26,000円を奪回、新高値を更新していきました。

ニューヨークといえば、2,000ドル前後で低迷したままで、2,700ドルに戻るまで

2年かかりました。

当時のわが国の勢いと、ジャパンマネーのすごさを物語るものです。

振り返ると、それがバブルそのものだったのですが・・・・・



で、NTT株はといえば、1年越しの大フィーバーがいまだ継続。

1988年7月には250万円の高値をつけました。

高値で売り抜けて、利益で高級国産車を買ったという自慢話も耳にしました。



そのNTT株、250万円をピークに急に下がってくるではありませんか。

何も株の知識のない私、これは割安だと思い、1988年11月9日

野村證券でNTT1株を180万円で買いました。

当時はネット売買なんてない時代、手数料は2万円丁度でした。

これが私の株式投資のはじまりです。



ところが、その後のNTT株、下がるは!下がるは!!

さらに、1990年初頭からバブル崩壊、その夏のフセインショック、

一直線の下げです。 

その間、私は損切りもできず、NTTを3株ナンピン買い。

さらに、富士通、大林組とかも買ってしまいました。



しかし、1991年春の湾岸戦争終結で一旦戻したものの、その後も、

住専の破綻、不良債権の飛ばしの発覚とか悪材料続出。

とうとう1992年6月には、NTT株が60万円を割りこみました。

4年で1/3に下落です。株の怖さが身に沁みました。



日経平均も3年足らずで、ピーク39,000円から14,000円まで

下がってしまいました。

最悪時、NTT4株だけで含み損が300万円。

他の株を含めると500万円の含み損を抱えてしまいました。

ホント、目の前が真っ暗になりました。



この頃、私の周囲で、バブルに乗じて大儲けして有頂天になり、

「わしは株の名人」とか自負していたが全財産を使い果たし、

何人も株の世界から去っていくのを、目の当たりにしました。




身近に、1億円が1年で300万円になった人もいました。

現物でスタートしたものの下がる一方、やむなく信用取引で買い増すも、

さらに損失が膨らみ、ついに精算という典型的なパターンでした。

後から冷静に見れば、なぜ早期損切りをしなかったのかと思いますが、

当人は最後まで、強烈なリバウンドがあることを信じていたようです。



私も大きな塩漬け株を抱えましたが、信用取引に手を出していませんでした。

ただ、首をすくめているだけでしたが、それで救われました。

まだ若かったし、毎月の給与収入もあったので、10年塩漬けでもよいという思いでした。

そして、信用取引で退場する人を見て、「信用取引には絶対手を出さない」と

自らに誓いました。



当時と違い、最近のように取引手法が進歩すると、信用取引も有効な手段だと思います。

でも、私は頑なに、今でもその誓いを守っています。

さて、500万円の含み損がその後どうなったかは、日を改めて記事にしたいと思います。


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